NPO法人日本・バングラデシュ文化交流会の活動に、いつもご支援ご協力をいただき心から感謝申し上げます。
1981年、青年海外協力隊隊員として初めてこの地に派遣されたときから30年以上が経ちました。90%がイスラム教のバングラデシュ農村の女性たちの生活はどんなものか、情報がないまま、とりあえず行って様子を見るところから始まりました。食生活改善のために野菜を家庭菜園で作りましょうと呼びかけても、土地を持たない経済的に厳しい家では畑にする場所もなく、狭いところでせっかく育てた野菜もヤギや鶏に食べられてしまうなど、なかなかうまくいかない焦りと試行錯誤の連続でした。あるとき村の家の屋根にみごとなカボチャができていたり、毎日ツルムラサキをつんで食べていたり、地元には地元の知恵がある!と感動し、その知恵を活かしていくことの大切さを思ったのが、今の活動につながるきっかけでした。
人々は明るく元気に過ごしている農村の暮らしですが、病気になって子供が亡くなったり、治療に多額なお金が必要になり借金に追われたり、夫の家庭内暴力や浮気、女性蔑視、家から放り出された女性は子供を抱えて働く機会も難しく、さまざまな問題を抱えています。近年、大都市ダッカの急激な経済発展が進む一方で、農村地域は以前に増して物価が高騰し、貧富の格差が拡大し、暮らしは厳しくなっています。
当会はNPO法人化してから2年ですが、団体の設立から数えると20年が経ちました。
私も家庭をもち子育てを経験し、バングラデシュの母たちの子供を思う気持ちに共感しつつ、互いに学びあい共に力を合わせて、活動をよいものにしていきたいと願います。
NPO法人日本・バングラデシュ文化交流会は、バングラデシュ農村に暮らす人々の生活向上となる活動を、地元の知恵を活かして人々が持つ力を引出し、自立を目指して支援や応援をしています。その地道な活動が地域の平和に結びつくものと信じて根気よく続けていきたいです。
これからもご支援をよろしくお願いします。
NPO法人 日本・バングラデシュ文化交流会
理事長 松本 智子
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村の人に学び、助け合いながら20年余、
これからも共に笑顔で進みます。
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和文名称 | 特定非営利活動法人 日本・バングラデシュ文化交流会 |
英文名称 | JBCEA:Japan-Bangladesh Cultural Exchange Association |
ビジョン 私たちが目指す社会 |
日本とバングラデシュの人々が文化の違いを認め合い、共生を成し遂げ、平和で、公正・公平な社会を築くこと。 |
ミッション 私たちの務め |
バングラデシュの農村に暮らす人々の生活向上に関する活動を行い、すべての人々が健やかに暮らせる地域社会づくりを目指して協力活動・交流活動を推進することです。 |
事業 |
1.活動支援事業 バングラデシュ農村に暮らす人々の生活向上を目指す活動を支援。パートナーのNGO団体、JBCEAバングラデシュが行っている、3つの活動(学校給食プログラム、大豆栽培・普及プログラム、刺しゅう製品の製作販売プログラム)の運営面の助言や活動の資金支援、有益な情報の提供など。 2.人材育成事業 現地スタッフ向けに研修を行い、組織人として必要な行動規範、役割と責任、業務遂行上の基礎知識、人事管理や情報管理能力、役割に応じて基礎から応用力を養成。 3.文化交流事業 日本とバングラデシュの相互理解のための学習会・交流会・セミナー等の実施。 4.広報啓発事業 会報の発行。 |
組織図
役員 | 2017年6月現在、理事4名、監事1名 | |
理事長 | 松本智子 | 元青年海外協力隊員(バングラデシュ、野菜)、現在東京第三友の会会員 |
理事 | 脊戸明子 | 元青年海外協力隊員(タンザニア・秘書)、現在日本外国語専門学校顧問 |
理事 | 豊田里美 | 元青年海外協力隊員(バングラデシュ、野菜)、学童保育職員 |
理事 | 佐藤利哉 | 元青年海外協力隊員(バングラデシュ、農業協同組合)、現在企業勤務 |
監事 | 掛札眞俊 | 元茨城県庁職員国際交流課勤務 |
スタッフ | 会計担当1名、事業担当5名 (ボランティア) | |
運営委員会 |
円滑な運営を目的に7〜10名の委員で構成、毎月1回会議を定期開催し現状把握と情報更新、意見交換を行い、現地パートナー団体へ意見や助言を行います。 ◇国内の活動・予算の状況、課題について討議 ◇現地パートナー団体(JBCEAバングラデシュ)から毎月提出される活動・予算に関する報告 を基に討議し、結果をフィードバック |
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会員と支援者 | 正会員と賛助会員、寄付者、事業のサポーター、プロボノ(イベントや事務補助などに力を発揮する社会人)や学生のボランティアたちの力で支えられています。 |
定款
設立から発展へ (1996~2012)
バングラデシュの農村で青年海外協力隊として活動してきた元隊員たちが帰国後も交流・協力活動を続けるなかで、1996年8月31日有志が集まって日本・バングラデシュ文化交流会を設立しました。東京に本部を置き、バングラデシュ人民共和国ジェソール県シャシャ郡ナバロンに現地事務所を設けて、両国を行き来して活動を展開。活動分野はバングラデシュの人々の生活向上支援を目的にシャシャ郡農村の人々の栄養指導、大豆栽培普及、保健衛生改善、女性たちの刺しゅう製作活動、井戸水のヒ素汚染対策、識字教育など。現地のニーズに対応するため、助成団体の支援を受けて活動を広げていきました。現地の人々に雇用の機会と所得創出の機会を提供、事務所棟も完成するなど、規模も次第に大きくなり成長路線を歩みました。
改革と基盤整備 (2012~現在)
多くのスタッフを抱え活動重視で進めるなかで、現地の人事問題が発生し、組織体制の見直しが急務となりました。多角化していた活動を選択と集中から再考、適正規模を念頭に人員計画のもと現地代表とスタッフを変え、人材訓練育成計画を策定するなど改革と基盤整備を行うなど、日本側代表も代わり全面的な組織刷新を図りました。現地で継続する活動として3つ(①学校給食プログラム、②大豆栽培・普及プログラム、③刺しゅう製品の製作販売プログラム)を選択、一方で組織と人事・スタッフの教育を段階的に充実させ、新体制の確立を図りました。その結果、スタッフ自ら考える力がつき、新たな取組にも対応できる基盤が整い、現地との意思疎通も円滑になっています。
2015年8月10日付で、特定非営利活動法人 日本・バングラデシュ文化交流会として都知事の認可を得ました。
※「安全」に伴う新たな挑戦(2016~)
2016年7月1日ダッカで発生したテロ事件は、現地安全対策が最重要課題となりました。農村部は平穏で治安も問題ありませんでしたが、地方でも事件が発生する事態となり、今までのように日本の担当者が年2~4回、各回2~3週間現地滞在して活動現場を目で確かめ、村の人たちと直接会合し、スタッフと膝を交えて討議や意見交換する機会は制限されています。現地滞在は数日のみ、渡航に際しても条件を守り行動する必要があります。現地スタッフの安全意識も徹底して対応できるように準備と対策をしています。
ダッカと違い、農村部のインターネット交信、電気供給状況は依然として問題が多く、さらに長引く天候不順も影響あり、活動が円滑に進むように現地と共に知恵を出し合い、代替案の対応も急務です。